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讃歌

『アルナーチャラへの五つの賛歌』は、何篇かの短い詩を除けば、マハルシの最も初期の詩です。それらが書かれたのは一九一四年、彼が三十五歳の頃でした。

『文字の結婚花輪』は『五つの賛歌』のうちの最初の詩です。当時、マハルシはまだ丘の麓にあるヴィルーパークシャ洞窟で暮らしていました。彼の追従者の内の何人かはサードゥだったため、彼らは毎日ティルヴァンナーマライの町に托鉢に出かけました。ある日、彼らは托鉢のときに詠唱する詩を作ってほしいとマハルシに頼みました。はじめのうち彼は、シヴァ派の聖者によって作られた古(ルビ・いにしえ)の詩が山ほどあると言って断ったのですが、彼らはどうしてもと頼み続けました。そこで、マハルシは各節の最後の部分に「アルナーチャラ・シヴァ」という繰り返し文句が入った詩を作ったのです。

『文字の結婚花輪』という題名は、花婿がアルナーチャラ・シヴァ神で、花嫁は個人の魂であることを示しています。

その次に書かれた『アルナーチャラへの十一連の詩』と『アルナーチャラへの八連の詩』は、帰依者からの要望なしに、マハルシ自身から自発的に書かれた非常に稀な作品です。彼はそれについてこう語っています。

ある朝、タミル語で「カルナイ・ヤール・アンダ・ネー」(恩寵によって、あなたは私をあなたのものとした)という言葉が私のハートの中に浮かんできました。それでも私は、「いったいこれらの言葉で私が何をすべきだというのか」と言って、それを抑えようとさえしました。しかしそうはいかず、私が詩を招き入れ、作り終えるまでそれを抑えることはできなかったのです。すべての言葉が努力なしに、自然にあふれ出てきました。

こうして『アルナーチャラへの十一連の詩』は生まれたのでした。

そしてその次の日、『アルナーチャラへの八連の詩』が作られました。マハルシはこう回想しています。

翌日、私が丘の周りを歩き始めたとき、パラニ・スワミが紙と鉛筆を持って私の後をついてきました。

私たちがヴィルーパークシャ洞窟に到着する前に、六つの詩片が書き終わりました。その後しばらくして、ナラヤン・レディがやってきました。彼はその当時、シンガー社の代理人としてヴェロールに住んでいて、ときどき私を訪れていたのです。パラニ・スワミがその詩について彼に語ったところ、ナラヤン・レディは言いました。「今すぐそれを私にください。私がそれを印刷しましょう」。彼はすでに何冊かの本を出版していた。彼が「どうしてもその詩を持っていきたい」と言ったので、私は最初の十一節を一つの詩の形式に完成させ、韻律の異なる残りの詩を別の形式にまとめると、出版する許可を与えました。そして詩を完成させるために、必要なさらに二つの節を即座に作り終えると、彼はその十九の詩節を持って帰り、それを出版したのです」

 『アルナーチャラへの十一連の詩』は神の恩寵を請い求める詩です。一方、『アルナーチャラへの八連の詩』は、アルナーチャラが究極の「存在—意識—至福」であることを、あますことなく解き明かした詩です。どちらも霊的な感化を受けて生まれた、真理を示す詩です。

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『アルナーチャラへの八連の詩』

1.    聞きなさい! それは生命のない丘としてそびえ立っている。その活動は人間の理解をはるかに超えた神秘だ。私が無知だった少年のころから、アルナーチャラは私の心の内に驚くべき荘厳なものとして輝きつづけていた。だが、アルナーチャラとティルヴァンナーマライが同じだと人から知らされたときでさえ、私はその意味をはっきり理解していなかった。それは私を惹きつけて心を静まらせた。そして近づいたとき、それが不動のまま立ちはだかっているのを私は見たのだ。

2.    見る者とは誰か? 内面を探ったとき、見る者が消え去り、その後に残ったものを私は見た。だが、「私は見た」という想いは起こらなかった。それゆえ、「私は見なかった」という想いがどうして起ころうか? 太古の昔、ダクシナームールティとして現れたあなたでさえ、ただ沈黙によってのみそれを伝え得たというのに、誰がそれを言葉で伝える力をもつというのか? 大地から天空までを輝かす丘としてそびえ立つあなたの境地を伝えるのは、ただ沈黙しかない。

3.       私が形あるものと見なしてあなたに近づくとき、あなたは一つの丘としてこの大地に立つ。形のないあなたの形を探す人は、虚空を探し求めて地上を旅する人のようなものである。想いなしにあなたの本性に黙想することは、大海に沈む砂糖の人形のように分離した自己同一性を失うようなものである。私とは誰かを実現したとき、私の自己同一性はあなた以外の何だというのか? ああ、アルーナの丘としてそびえ立つあなたよ!

4.      存在と意識であるあなたを無視して神を探し求めることは、明かりを灯しながら暗闇を探すようなものである。あなた自身が存在と意識であることを知らしめるために、あなたは異なった宗教の中に異なった名前と形で存在する。あなたを知らない人は、太陽の存在を知らない盲人に等しい。ああ、偉大なアルナーチャラよ、比類なき宝石よ。他者のない一者として、わが真我として輝き続けたまえ。

5.      宝石をネックレスとしてつなぎ合わせる糸のように、すべての生きとし生けるものとさまざまな宗教とをつらぬき通し、一つにまとめているのはあなたである。磨かれた宝石のように、純粋な心の砥ぎ石で不純な心が研ぎ澄まされれば、きずや欠陥は消え去り、外側の対象物に影響されない輝きを放つルビーのような、あなたの恩寵の光を映し出すだろう。ひとたび太陽に露出された感光板に、印画することが可能だろうか。ああ、慈悲深く、眩(ルビ・まばゆ)く輝くアルナの丘よ! あなたから離れて存在するものなどあるだろうか。

6.     あなたは自ら輝くハートとして永遠に気づいている唯一の実在である。あなたの内には神秘の力(シャクティ)が宿るが、その力もあなたなしでは無に等しい。その力から、それまで潜在していた微細な暗黒の霧を放つ心の幻影が現れだす。それはあなたの意識の光に照らされて、霧の上に反映される。そしてプラーラブダの中に渦巻く想念として内面に現れる。後にそれは精神的世界へと展開してゆき、それから、外面に物理的世界として投影され、外へ向かう感覚器官によって拡大されて、映画のように動き回る現実の物事へと姿を変える。目に見えるものであれ見えないものであれ、ああ、恩寵の丘よ、あなたなしではそれらも無に等しい!

7.    「私」という想いが現れないかぎり、その他の想いも存在しないだろう。他の想いが現れるなり、「それは誰に起こったのか」と尋ねれば、「私に」という答えが返ってくるだろう。これを綿密に続けていき、「私の源とは何か」と尋ね、ハートの中の心の座に達するまで内面深く潜ってゆく人は、そこで宇宙最高の主となるのだ。ああ、恩寵の大海よ、ハートの宮殿の中で不動のまま舞い踊るアルナーチャラと呼ばれる光輝よ! そこにはもはや、内と外、正と邪、生と死、快楽と苦痛、光と闇といった二元的な夢はない。

8.    水は海から立ち昇って雲になり、雨となって降り注ぎ、流れとなってふたたび海へと帰り着く。それが源に戻ろうとするのを止めることは誰にもできない。同じように、あなたから立ち現れた魂が、ふたたびあなたと一つになろうとするのを止めることはできない。たとえ途中で多くの渦に巻き込まれようとも…。大地から大空へと飛び立った鳥も、空中で休むことはできず、再び地上へと戻らねばならない。魂が源へ帰る道を見いだしたとき、それはあなたの中に溶けて消え去るのだ。ああ、アルナーチャラ、至福の大海よ!

 

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