幼年期  Early Years

Thiruchuli House -- Birth Place of Sri Ramana
Thiruchuli House — Birth Place of Sri Ramana

インドのタミル・ナードゥ州にあるマドゥライという町から南に50キロメートルほど行くと、そこにはタミル州の偉大な詩聖であるスンダラ・ムールティとマーニッカヴァーチャカルが詩に詠った古(いにしえ)のシヴァ神の寺院のあるティルチュリという村があります。

19世紀後半、この聖なる村にスンダラム・アイヤールという弁護士がその妻アラガンマルとともに暮していました。彼らは信仰心、帰依心、博愛精神という資質に恵まれた理想的な夫婦でした。スンダラム・アイヤールは非常に寛大な人でした。そしてアラガンマルはヒンドゥー教徒として理想的な妻でした。彼らの間に生まれた二番目の息子ヴェンカタラーマンは、ヒンドゥー教徒にとって吉祥なアールードラー・ダルシャナムの日である1879年12月30日に誕生しました。彼こそ、後に世界がバガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシとして知ることになるその人だったのです。

毎年この日になると、舞い踊るシヴァ神、ナータラージャの神像が寺院から出され、神輿に乗せられて村中を行進します。こうすることで、ガウタマ、パタンジャリ、ヴャグラハパーダ、マーニッカヴァーチャカルといった聖者の前に姿を現したシヴァ神の聖なる恩寵を祝うのです。1879年のアールドラーの日、ナータラージャ神の神像が、ティルチュリの寺院から外に出て様々な儀式を終え一廻りし、ふたたび寺院の中に入ろうとしたそのとき、ヴェンカタラーマンは誕生しました。

ヴェンカタラーマンの幼年期には、何一つ際立ったところはなく、ごく普通の少年として成長しました。彼はティルチュリにある小学校に通い、それからディンディグルの学校に1年間通いました。12歳のとき、父親が他界しました。そのため、彼は家族とともにマドゥライという町にある父方の叔父のスッバアイヤールの家に住むことになったのです。そして、その地のスコット中学校に通い、それからアメリカン・ミッション・スクールに行きました。

高い知性と強靭な記憶力を持ちながらも、彼は勉強にまったく関心を寄せない学生でした。とても強健で、学友や遊び仲間は彼の強さをいつも恐れていました。彼らが彼に不平を抱いたときは、彼が眠っている間にだけ悪戯(いたずら)をしたのでした。なぜなら、彼は尋常ではない深い熟眠状態に入ったからです。眠っている間の彼は、何をされてもまったく気づかずにいました。外に運び出され殴られたとしても、眼を覚まさないほどだったのです。

子供の頃から、ヴェンカタラーマンはアルナーチャラが偉大で、神秘的な、近づくことさえできないようなものだと直感していました。

彼が16歳のとき、ある年老いた親戚の一人がマドゥライを訪れました。少年は「どこから来たのですか?」と尋ねました。その人は「アルナーチャラからだよ」と答えました。その「アルナーチャラ」という名前を聞いて、ヴェンカタラーマンは魔法をかけられたかのように興奮して叫びました。「何ですって! アルナーチャラですって! それはどこにあるのですか?」。すると彼は「ティルヴァンナーマライがアルナーチャラなのだ」という答えを得たのです。
このときの出来事を聖者は、後にアルナーチャラに捧げる詩の中に書いています。

ああ、何という驚きだろう! それは生命力のない丘として聳(そび)え立っている。

その活動は誰にも理解できない。子供時代からアルナーチャラは何か荘厳なるものとして私の知性を魅了してきた。だが、アルナーチャラとティルヴァンナーマライが同じだと人から聞かされたときでさえ、私はその意味をはっきり理解していなかった。それが私を惹きつけて心を静まらせたとき、それが不動のうちに絶対なる静寂として立ちはだかっているのを私は見たのだ。 『シュリー・アルナーチャラへの八連の詩』より

ヴェンカタラーマンの注意をアルナーチャラに引き寄せたこの出来事のすぐ後、彼に深い霊的高揚をもたらしたもう一つの出来事が起こりました。彼はセッキラール著の『ペリア・プラーナム』という本に偶然出合ったのです。それはシヴァ神を信奉する63人の聖者の物語でした。彼はその本に完全に魅了されてしまいました。これは彼が読んだ最初の宗教書でした。聖者の物語は彼を虜(とりこ)にし、ハートの竪琴の糸に深く触れたのです。そして自分もそれらの聖者のように神への愛と自己放棄の精神に生きたいという強烈な願望が湧き起こったのでした。