ラマナ・マハルシは、ヒンドゥー教の聖典の中からアルナーチャラの偉大さと栄光を讃えたサンスクリット語の詩を数千編選び出しました。それらの詩が示す真理を、マハルシは自分の生涯において実際の体験として知っていたのです。それらのサンスクリット語の詩の中から、マハルシは七編の詩を選んでタミル語に翻訳しました。以下がその詩編です。

シヴァ神は言いました。

実際は、燃え上がる炎のごとき私が、輝きのない丘としてこの地に姿を現したのは、世界を維持するための恩寵と愛情に満ちた気遣いからである。私は常に、ここに「偉大なる者」(シッダ)として住している。私のハートの内奥には、超越的な栄光とこの世のすべての歓喜があるのだということを覚えておきなさい。

アルナーチャラの輝きは、一目見ただけで、一なる「存在」を限定された世界と自我に分割するすべての欠点を取り除くほどの威力をもっている。

果てしない努力なしには得られないヴェーダーンタの真意さえ、この丘を直接見る者、あるいは遠くから想う者には、容易に達せられる。

Arunachala with Green Foliage

アルナーチャラの丘から半径3ヨージャナ(約48キロ)以内に暮らす者は、ただそれだけで、たとえ入門儀式を通らずともすべての欠点を焼き尽くし、「至高なるもの」との合一に達する、と私は定める。

 

このシヴァ神の言葉が真理であることを体験するためには、私たちはマハルシが示した道を歩かなければなりません。アルナーチャラの栄光と偉大さは、マハルシ自身が人生において悟った真実です。そしてマハルシによって示された道を歩いた人たちも、その真実を直接体験したのでした。

 

マハルシとともに長年を過ごした帰依者デーヴァラージャ・ムダリアールはこう語っています。

私はバガヴァーンから二つの驚くべき物語を聞いたことがあります。それは彼が丘の上に暮らしていた頃のことです。ある女性が、夜中に汽車でティルヴァンナーマライの駅に到着し、それから馬車に乗り込むと、町中のある通りに行くようにと御者に伝えました。

ところが、その御者は悪党だったのです。彼は彼女を乗せて町外れまで行くと、宝石のついた彼女のネックレスを奪い取ろうとしました。するとそのとき、突然二人の警察官が現れ、彼女を守って家まで送って行ったのです。女性は二人の警察官の名前と番号を書き取って、翌日お礼をしに警察まで行ったのですが、そのような警察官はティルヴァンナーマライにはいないと言われ、しかもその夜のことは何の報告も受けていないと言われたのです。

バガヴァーンがこの物語を語ったのは、ちょうど私たちが奇跡について話していたときでした。そして「このような奇跡は、今でもここで起こっています」と彼は言いました。

もう一つの物語は、古い帰依者であるT. K.スンダレーサ・アイヤールの親戚にあたる人の話です。彼は身体に障害を負った老人で、大変信仰心あつく、身体の支障にもかかわらずアルナーチャラの丘の周りを歩くプラダクシナを熱心にしていました。

彼はアルナーチャラの麓の町ティルヴァンナーマライで親戚の家に暮らしていましたが、何年もその家の人たちに冷たく扱われたことに嫌気がさし、町を出てどこかの村で、自分で生計を立てながら暮らそうと決意したのでした。

Arunachala Full Moon

町のはずれまで来たとき、一人の若いブラーフマナが突然彼の前に立ちはだかりました。そしてひどく手荒に老人の松葉杖を取り上げると、「これはあなたにはふさわしくない!」と言って杖を投げ捨ててしまったのです。うろたえた老人は、その瞬間、自分の足が元に戻って松葉杖なしで歩けるようになっていることに気づいたのでした。

バガヴァーンはこの出来事を個人的に知っていると言いました。そして『アルナーチャラ・スタラ・プラーナ』にこれとそっくりの物語があり、足が不自由ながら何年も丘の周りを回っていた帰依者が、ソーナ・ティールタ沐浴場に着いて水を飲もうとしたとき、彼の前にアルナーチャラ神が現れ、松葉杖を奪い去って捨ててしまうのですが、彼はその瞬間から歩けるようになっていたのです。